2023/02/18 17:24




ワイキキのビーチを温かく見守るデューク・カハナモク像。
観光客が必ずと言っていいほどカメラを向ける記念撮影の人気スポットです。
高さ約5メートル、1990年にデューク・カハナモク生誕100年を記念して建てられました。

《ビーチ・ボーイズ》

デューク・カハナモクは1890年8月24日、オアフ島で生をうけました。
幼少の頃からワイキキのビーチでアウトリガーカヌーや水泳に親しみ、
青年期は仲間たちと日がな一日、カヌーやサーフィンを教えたり、ライフガードのような役務をこなしたりしながらビーチで過ごし「ビーチ・ボーイ」と呼ばれていました。



《金メダリスト》

海で育ちマリンスポーツの達人であったデュークは、1911年に初めて出場した水泳競技会の100ヤード自由形で、いきなり当時の世界記録を5秒近くも縮める大記録を叩き出して世間を驚かせます。
水泳のアメリカ代表に選ばれたデュークは、翌年のストックホルム五輪に出場。100メートル自由形で見事、金メダルに輝きました。
続くアントワープ五輪でも100メートル自由形の金メダリストとなり2連覇を達成、さら800mリレーでもう一つ金メダルを獲得するという快挙を成し遂げました。
1924年、齢三〇半ばを迎えた彼はパリ五輪にも出場し、100メートル自由形でジョニー・ワイズミュラー(のちに映画『ターザン』の主役となって国際的スターになった人)に敗れて銀メダルに終わりましたが、その功績は世界に圧倒的な存在感を示したのです。



《近代サーフィンの祖》

さて、それ以上にデュークが大きな影響を世界に与えたものがあります。それは「サーフィン」。
サーフィンを世に知らしめ、スポーツとして、文化として、定着させたのがデュークその人なのです。
五輪の偉業で注目され世界中から招かれるようになった彼は、各地でサーフィンのデモンストレーションを行い、サーフィンの認知拡大と普及に大きく貢献しました。



こうしてデュークは、水泳とサーフィンの両方で国際殿堂入りした最初のアスリートとして歴史に名を刻みました。
一方で、俳優としてハリウッド映画にも出演し、ますます知名度は高まりました。

《アロハの象徴》

また、英雄と呼ばれるにふさわしい、こんなエピソードも残っています。
1925年のこと、カリフォルニア州コロナ・デル・マーの沖で小型船が転覆したとき、サーフボードを使って果敢に8人の乗員を救出したのがデュークでした。彼は転覆船と岸を何度も往復し、生存者を陸へ連れ戻しました。この活躍を地元紙は「超人的な救出劇」と報じたそうです。
1932年からはホノルルの保安官として長年にわたり社会貢献に尽くしました。

かくしてハワイのカリスマとなったデューク・カハナモクは1968年1月22日、享年77歳にして生涯の幕を閉じました。彼の灰はワイキキの海に撒かれ、葬儀に参列した人々で海岸は埋め尽くされたそうです。

アロハ精神の象徴であるデューク・カハナモクは、ハワイを愛する人々にとって永遠のヒーローとなりました。


このたび、クヒオビーチ前に建つ英雄デューク・カハナモクの銅像をモチーフにしたユニークなイラストのTシャツをラインナップしました。この一枚をまとって、ぜひ心でハワイの風を感じてください。 >ホームへ